広島地方裁判所 昭和41年(ワ)570号 判決 1971年4月15日
原告
三宅淑子
代理人
星野民雄
被告
広島市
代理人
宗政美三
主文
被告は原告に対し五〇万円およびこれにつき昭和四一年八月三日から完済まで年五分の割合の金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は二分し、各一を原告および被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し一〇〇万円および内五〇万円につき昭和四一年八月三日から、五〇万円につき昭和四四年四月一一日から各完済まで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」旨の判決を求め、請求原因として、
一、原告は昭和三九年五月広島市立工業高等学校に実修助手として採用され、事務を補助していた。
二、原告が昭和四〇年七月六日午前九時四〇分同高校新館三階化学準備室で工業分析実験に使用する三塩化沃素ガラス製アンプル(二五グラム入)を左手に持つていたところ、これが爆発して飛散したガラス片と右薬品を顔面と前半身に受けて傷害をこうむつた。
三、これは清水浩明教諭から、右アンプルを切るよう手交された際発生したものであり、右薬品は空気に接すると発煙して気化する不安定な結晶体であるにかかわらず、冷暗所に保管しておらず、更に清水教諭が事故の一月前にその内八グラムを使用して、角田助手に残部を封じさせた事、脱脂綿の少量が残存していたことに原因した事故である。
四、したがつて、清水教諭は本件につき職務上の過失の責があるものであり、被告は国家賠償法第一条により本件により原告の受けた損害を賠償する義務がある。
五、原告は事故発生日から同月一六日までは広島日本赤十字病院の皮膚科眼科に通院するかたわら同年九月上旬まで三宅医院でも治療を受け、ついで同年一二月上旬まで長崎更正堂病院および呉共済病院で手当を受けたが、腫れおよび中毒症状が数カ月続き、その間発熱、吐気等に悩まされた。
六、原告は昭和一九年生れの未婚の女子であり、昭和三九年三月鈴峯女子短大理科を卒業したものであるが、本件傷害による痕跡が生涯残存する状態で、その精神的打撃は大きく、以上の一切の事情を綜合するとき一〇〇万円の慰藉料請求権を得たというべきである。
七、そこで右一〇〇万円および内五〇万円に対しては昭和四一年八月三日から、五〇万円に対しては昭和四四年四月一一日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、<証拠略>。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」旨の判決を求め、答弁として、
一、原告主張事実につき一、二の内傷害の部位を除く部分、五の内原告が治療を受けた点(詳細は知らない)、六の内原告の年令、学歴等は認めるが、他は否認する。
二、当日の実験に際しては、原告が準備作業に従うことは禁止してあり、原告の強い希望によりアンプル切断の指導をすることとし、清水教諭がこれに必要なやすりを探すため戸棚の抽出を探しに行つたとき事故発生に至つたものである。
三、国家賠償法第一条に規定する公権力とは国家統治権に基づく優越的意思の発動作用を指すものであり、学校教育はこれに含まれない。
四、被告は教職員の免許を受けた者から考試によつて教職員を採用しており、教育委員会事務局がその監督、指導に当り、理科教材の取扱についても十分注意をするように文書で指導し、特別実習を実施していたが、広島市立工業高等学校に対しては事故発生の数日前に指導員を派遣しており、選任監督に過失がない。
五、仮に本件アンプルに脱脂綿が入つていたとしても、爆発するときまつたものではなく、この点に関して高度の知識を有していない清水教諭としては事故発生を予見できない。
と述べ、<証拠略>。
理由
一原告主張事実中一および二の内傷害の部位を除く部分(本件事故発生と当時の原告の地位)は当事者間に争いがない。
二そこで、右事故発生の事情、発生後の状況等について検討する。
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
(1) 原告は、本件事故発生の一〇分位前に、清水浩明教諭から三塩化沃素を用いて一塩化沃素を作るよう指示され、その方法を記載した教科書(甲第三号証の一、二)を教えられ、二五瓦入アンプルの三塩化沃素の入つた紙箱を受け取つた。
(2) 原告は一旦同席していた賀川教諭に右紙箱を渡し、同教諭は右アンプルを取り出して振つたりして見た後、原告が引続いて、清水教諭のアンプルを切るようにとの指示により、アンプルを顔前に持つていたとき突然本件事故が発生した。
(3) 事故によりアンプルの破片が四散したため、原告は口、左手等に傷を受け、化学準備室および保健室で応急の手当を受けた後広島日赤病院に運ばれて治療を受けた。
(4) 三塩化沃素は強力な酸化剤であつて、脱脂綿等の可燃物とともに封入しておくと、脱脂綿等は徐々に酸化分解して炭酸ガス等を発生して高圧となり、爆発の可能性がある。
(5) 本件事故発生の約一カ月前に、清水教諭は本件アンプル内の三塩化沃素を一部使用し、その後助手角田正三がアンプルの封をしたが、その際角田は右アンプル内に脱脂綿を封入した。
以上の事実が認められ、前掲清水証人の証言中右認定に反する部分は使用しがたい。
右経過からするとき、本件爆発は前記脱脂綿の封入に因るものと推認され、清水教諭は、三塩化沃素をかように不安定な状態においた点に関し、過失の責を免れない。
被告は清水教諭が薬品の性質につき詳しくなかつた旨主張して過失を争つているが、仮にそうであるとしても、そのような場合には、薬品を取り扱う際あらかじめその性質等を調査して取り扱うべきものであり、かような調査をしたことにつき被告から主張、立証のない本件では、その過失責任は同様である。
三次に原告の被告に対する本件についての国家賠償責任の有無につき考察する。
国家賠償法第一条第一項によれば、公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうにつき過失により違法に他人に損害を加えたときは、公共団体が損害を賠償する責に任ずる旨定めてある。そして、右公権力の行使というのは必ずしも統治権の優越的意思が発現される場合だけに限らず、公共団体の私経済作用を除いた非権力的公行政作用も含むと解するのが相当である。
右見解によると、本件の場合も右法条の適用があることは明白であり、被告は本件につき原告に損害を賠償する義務がある。被告は清水教諭の選任、監督に過失がないと主張するが、右事実があつても結論は変らない。
四前掲甲第一号証と原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨とによれば、事故後原告は広島日赤病院等に通院して治療を受け、一か月位で火傷状の部分が皮を生じ、同年一二月頃一応治癒し、現在顔面は殆んど識別し難い程度であるが前腹部の瘢痕は永久に存続する状態にあること、原告は開業医の長女として出生したものであることが認められる。
原告が昭和一九年生の未婚の女子で原告主張の学歴(第六項)を有することは当事者間に争いない。
原告が本件事故により精神的打撃を受けたことはいうまでもないところであり、以上の一切の事情を考慮するときその慰藉料額は五〇万円が相当であると認める。
五以上の次第で、被告は原告に対し五〇万円およびこれにつき事故発生後の昭和四一年八月三日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるので、原告の本訴請求を右範囲で認容し、これを越える部分は棄却すべきものとし、民訴法九二条を適用し、主文のとおり判決する。(辻川利正)